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2021年4月26日月曜日

父が作ったポチの家

 僕の父親は、僕が28歳の時に、68歳で死んだ。
僕には、今も忘れない、彼に愛された思い出がひとつある。
それは、僕が4歳の時だった。
僕が、小さな子犬を拾って、腕に抱えて家に帰った時、
母親は、「ポチだよ」と名付けてくれた。
すると、そばで見ていた父親が、何も言わずに、
おもむろに、ベニヤ板を家の中から取り出してきて、
のこぎりで切り始めた。
昔の家には、金づちやのこぎりが、当たり前のように常備されていたもんなんだよ。
父親は、最後に屋根を釘で打ち付けて、
手際よく、ポチの家を作り上げたのだった。
彼は、本当に、何も言わなかった。
何も言わずに、ただ、必要なものを、作って見せてくれたんだ。

僕が、その時の父親と同じ歳になった時、
僕は、いったい、何をしていたかな?
と、思い出してみた。
僕は、今までずっと独身だったから、
当然、犬小屋を作ってあげる子供もいないし......

僕は、いったい、何をしていたんだろう?

計算してみなくっちゃ......
僕は父親が40歳の時に生まれたから......
あの時の父親は44歳ってことになる。すると......
え~っと、え~っと......
あ、そうか......


僕は、ビデオを作ったのだ!

何も言わずに、ただ、目の前で作って見せてあげること。
はからずも、あの時の父親と同じことをしていたみたいだね。
ただし、僕の場合は、自分の子供のためではなくて、
誰かに愛を伝えたがっている世界中の人たちのために......





2021年4月1日木曜日

I said "I love you" and the world said "You're welcome"

                            All the world's a stage, 

And all the men and women merely players;  

(from "As You Like It" by William Shakespeare)

                              全世界が一つの舞台、

そこでは男女を問わぬ、人間はすべて役者に過ぎない

(シェークスピア 「お気に召すまま」 新潮文庫 福田恆存 訳 より)




僕が生まれる前、まだ母親のおなかの中にいた時、
医者が中絶を強く勧めたらしい。
当時、母親は黄疸が激しくて、おそらく、母体の健康を気遣っての事であろう。
「黄色い子供が生まれてくるぞ!」
と、脅し文句を浴びせかけて、医者は母親に中絶することを迫ったのだそうだ。
学校に行ったことがない無学の母は、医者の言う事を疑いもせず受け入れて、
いよいよその日がやってきた。
すでに妊娠六か月を過ぎていた。
母親は病院の待合室で待っていた。
手術室から、器具を並べる、カチカチとした金属音が聞こえてきた。
そのとき、お腹の中で、僕が、右に左に、
びゅーん! びゅーん!
と、大きく動いたのだそうだ。
その瞬間、母は、怖くなって、
「ああ、この子は、産まなくちゃいけない」
と思い、それから............
僕がこの話を聞いたのは、20歳を過ぎてからだったけど、
その時、母が取った行動は、素晴らしかったと思う。今でも、そう思う。
彼女は、その切羽詰まった(僕にとっての)絶体絶命の状況で、
僕を産むための、たった一つの方法を見つけ出し、
果敢にも、それを即座に実行したのだ。
彼女がしたこと、それは......
逃げ出したのだ。
病院には何も告げず、ただ、逃げ出したのだ。
それが、唯一の方法だった、と僕は確信している。
なぜなら、もし、
「わたし、やはり産みます」
と、言ったとしても、あの手この手で、
医者に言いくるめられてしまうのは、100パーセント間違いない。
じゃなければ、医者も、決して、
「黄色い子供が生まれてくるぞ!」
と脅したりはしなかっただろうから。

僕は、この話を、母から聞いたとき、
あ、じゃあ、あのときの夢は............
と、高校生の時に見た夢(夜、寝ている時に見た夢)を思い出した。
それは、こんな夢だった。

僕は病院の待合室にいる。
ベンチに座っている。
そしてすぐに、
そうか、僕は、殺されるのを待っているんだ、
と直知的に理解する。そして、
これは避けることのできないことなのだ、
ということも、直知的に理解する。
だから、僕は、仕方がない、と観念しながら、その時が来るのを待っている。
僕の目の前に見えるのは、
コンクリート製の白い壁と、点滴をつるすための金属製のスタンドだった。
その無機質な世界が僕に見える全てだった。
やがて、
その時がきた、
と、これもまた直知的に理解する。
いよいよ、お別れだ。
すると、その瞬間、僕は、心の底から
「ああ、別れたくない、もっと、そばにいたい」
と、思ったのだ。
そして、次の瞬間、コンクリートの壁も、金属製のスタンドも、
神々しい光を発して、美しく輝き始めたんだ。
その美しさに魅せられて、僕は、渾身の力を振り絞って、
この世という世界に向かって、この身を投げ出そうとしたんだ。
そこで、目が覚めた。

もしも、この夢が、生まれる前の記憶だったとしたら............
という前提で、このブログは書かれている。

僕が、この世という名のこの世界に向かって、
I Love You !!!
と、呼びかけたら、
この世という名のこの世界は、
You Are Welcome !!!
と、両手を広げて応えてくれた。

僕の人生は、そうやって始まった。
僕は、世界を愛するために生まれてきたのだ。
1962年の秋のある日の事だった。

同じ年、Beatles がメジャー・デビューをする。
僕が生まれて、しばらくたっての事だ。
デビュー曲のLove Me Do は、
ジョン・レノンのハーモニカで始まる。
きっと、僕の産声は、このハーモニカのメロディーと同じだったに違いない、
と、僕は誇らしく、そう思っている。